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08 スイーツ男子 芥川龍之介と『しるこ』散歩

2016/02/14

震災以来の東京は梅園や松村以外には 『しるこ』屋らしい『しるこ』屋は跡を絶ってしまった。 その代りにどこもカツフエだらけである。... 芥川龍之介が昭和2(1928)年に、明治製菓のPR誌「スヰーツ」に寄せた短編「しるこ」冒頭の一節である。甘党だった芥川龍之介は、この随筆の中で、ニューヨークやパリの人々や、ムッソリーニまでもが、「しるこ」を啜りながら談笑する様子を想像している。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/24452_11251.html その自筆原稿を、鎌倉文学館で見た。* 原稿用紙のマス目の真ん中に、鉛筆でポツリポツリと一文字ずつ丁寧に書かれている。まるっこい小さな字。上から、たくさんの推敲の線が引かれ、さらに小さな文字が加筆されている。「しるこ」という文字も、かわいらしい。 師の夏目漱石に「鼻」を絶賛され、続々と作品集を発表するなど順調な作家人生を歩いていた芥川龍之介。「芋粥」や「蜘蛛の糸」をはじめ、小説の中には、朗らかなユーモアがあちこちに散りばめられていた。でも実際の筆跡は、消え入りそうなほど控えめで、心許なくて、とても繊細。

鎌倉文学館

この文字を書いた繊細な手が、 「しるこ」のお椀を包むように持ち ほかほかと温められていた光景を想像してみる。 1892(明治25)年に東京に生まれた芥川龍之介は、鎌倉に二回住んでいる。一回目は大正5(1916)年から約2年由比ガ浜に下宿していた時。二回目は、1919(大正8)年に塚本文と結婚してから、約1年材木座にいた。 それから8年。芥川龍之介が自ら命を絶ったのは、 「しるこ」の随筆を書いてから約2ヶ月半後のこと。

鎌倉文学館から見る由比ガ浜の春霞の海

もし今の時代に芥川龍之介が生きていたら、 やっぱり不安に押しつぶされていっただろうか。 鎌倉に住んでいたら、小町通り脇の路地にある「納言志しるこ店」に座る姿があったかもしれない。運ばれてくる熱々のお椀のフタを取り、なみなみと盛られた「しるこ」を啜り、小さな店の中で、隣の恋人たちの話し声に耳をすます。

手元からもノドからも、お腹の中からも温かくなって、満ち足りた気分と、甘さがのどを通り越した後の一抹の淋しさ。そんな感傷は、一歩外を出たら小町通りの喧騒に、あっという間に掻き消されてしまうだろうなあ。

生きている私たちは、芥川龍之介のいない鎌倉を散歩する。 春の暖かさと名残の寒さが綱引きしているようなこの季節、冬の背中を追いかけるように、温かい「しるこ」をいただく。閉店の時間になっても外はまだ明るい。寒ければ早く暖かくなれと願い、暖かくなれば寒さを惜しむ。今どきのスイーツ男子はといえば、バレンタインのチョコレートに一喜一憂。人はわがままで、移り気で、贅沢だ。 ----------------------------------------------- 納言志るこ店 鎌倉市小町1-5-10 phone 0467-22-3105 11:00-17:30(入店は17:15まで) 水曜、第1,3木曜定休 祝日の場合は翌日休 1953年創業 しるこには、つぶと、こしがある。 夏期は氷屋になり、宇治金時が絶品

*鎌倉文学館 バレンタイン特別展示 http://www.kamakurabungaku.com/event/index.html (2016年1月30日〜2月14日) photo&文 中尾京子



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