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建長寺 高井総長のお話が聞きたい!②

2014/01/19

『建長寺』の高井正俊総長さまのお話、>>第一回 は、 高井和尚さまが、仏さまの道に入られた時のことから 日本に育った仏教のいろいろな宗派の違いについて伺いました。 その中でも学問的に発展した天台宗、そしてここから‥ 第二回は、鎌倉時代に生まれた 「鎌倉仏教」について、お話がはじまります。

〜建長寺 高井和尚様のお話が聞きたい!②鎌倉仏教って何?の巻 ボンズくんチーム(以下B  「奈良仏教」「平安仏教」と来たら、 次は鎌倉時代に生まれ育った「鎌倉仏教」ですね。 高井和尚さま(以下T  「鎌倉仏教」というのは、ほとんどが天台宗から来ていて  比叡山で勉強した人が鎌倉仏教を開いています。  天台宗を総合的な学問だとすると、 鎌倉仏教というのは、 いわば「専科」。 鎌倉仏教の各宗派は、それぞれ選択した単体のものです。 B 選択した専科というと、例えば‥ T 日蓮宗は"四箇格言(しかかくげん)"で、 "真言亡国"などと言いました。  (注:真言亡国、禅天魔、念仏無間、 律国賊の四つを四箇格言という)  禅宗のお経は、強いていえば華厳経がベース。  自分の世界をどう具現化するか〜をテーマにしています。  浄土教(浄土宗・浄土真宗)は念仏のみ、「南無阿弥陀仏」阿弥陀経によっています。  その他に、日蓮宗、時宗など。  つまり鎌倉仏教は、たくさんやらなくてよい。  誰でも入り易くシンプルでわかりやすい。  だから、多くの人に支持された。 B なるほど T 現代の仏教を見ると、鎌倉仏教から生まれたものが だいたい8割です。お寺の数や、ご信者の数。 B たしかに、ウチは父方が曹洞宗で、母方が浄土真宗です‥ T 「鎌倉仏教」とは鎌倉という「土地」というよりも 精神」が特長です。 「平安仏教」というのは、貴族たちなど "持てる者の宗教"でした。  「鎌倉仏教」は、"持たざる者の宗教"。相手はどなたでも良かった。 B 「持たざる者の宗教」‥  土地や財産をほとんど持たない庶民の宗教ということですね。 T そうです。"人間ではない"と言われていた人たちも、   "人間だ"と言われたようなもの。   人間として生きることが保証された。 B 「持てる者」と「持たざる者」、貴族と庶民との間には   そんなに差があったのですか‥ T 鎌倉という時代は、日本の生産力が上がりました。  土地がどんどん開墾されたことが、 (意識の上でも)土壌になった。  より良く生活できる。ゆとりが生まれ、  努力すれば報われるという世の中になった。  それまでは、意識が京都に向いていました。 B 力のある者、偉くなった者は皆京都に向かったのが平安時代。 T しかし、鎌倉時代はサムライの存在によって、  自分たちのものを自分たちで守るんだ、  自分たちは"力"を持っている、と人々は目覚めた。  頑張ると、この土地も自分のものになる。  それは生きる意欲につながり、宗教に対しても 意欲につながります。 B 大きな、大きな変化ですね。 T それまで一般民の間では、亡くなった人を宗教的にあの世、 極楽に送る、弔うということもなかったんです。 ただどこかに置いていた。 B ええっ、そうだったんですか‥

T 建長寺の土地も、お寺が建てられる前は地獄谷と言われ、 亡くなった人の遺体を置いている場もありました。 B 今では誰もが当たり前のように行っているお葬式や、  死者を弔うという人間らしい振る舞いのようなものがなかった‥ T 鎌倉時代に初めて「人間としての意識」が覚醒していったので   鎌倉時代は大きな転換期です。 B 鎌倉時代というのは、大事な起点なのですね。 T だからこそ、家康なども頼朝を非常に崇拝しました。   日光東照宮の御神体(は家康だけでなく)の一つは頼朝です。 B 知らなかったです! T 鎌倉は武士にとっての「吉土(きちど)」、  つまり幸せをもたらしてくれる土地でした。  清盛は貴族化していってしまったので、武士の始祖は頼朝。  徳川幕府から、建長寺を始めたくさんの社寺が手当を支給されていました。 B 建長寺さんは徳川幕府との縁が強い〜というのも  背景にそういうことがあるのですね。 北条泰時の頃は「御成敗式目」が作られたりしたので  もしかすると鎌倉時代は、その後の戦国時代などよりも  社会のルールが進んで現代に近かったということはありますか? T「御成敗式目」のようなものが作られたのは、  混乱・混沌の時代だったからです。だから法律が必要だった。  武家が一つに統制して、命令系統をハッキリさせていかなければ  いけなかった。 B それまでなかったところに、ルールを作った。 T その時に武家の禅宗がやったことは、平安仏教と大きく違うところで   "人間として"『日常生活』をちゃんとする、  『日常生活』というものを作ったことです。 B 『日常生活』というのは、それまでなかったということですか?       ----------------------------------------(第三回へつづく)

鎌倉時代の「人間としての覚醒」という言葉に、 なんだかえも言われぬワクワク感を感じます! しかし、それまでの時代は、今では当たり前のものとしてある 日常の生活習慣がなかった‥ 「人間らしく」生きていたのは貴族だけだった ということを具体的な映像として思い浮かべると とても不思議に思えてきます。 一体それまでの人たちは どのような暮らしをしていたのでしょうか‥ NHK大河ドラマの「平清盛」で描かれていた平安時代の庶民の姿、 犬や猫とも同じような汚れてボロボロだった姿、 あの描かれ方は史実に近かったのかもしれません。。 たしかに、そんな状態では、仏教は頭にも心にも入ってこないだろうなあ、‥‥‥そんな思いを膨らませつつ、 最終>>第三回にお話はつづき、 「禅」の世界観がいよいよ紐解かれていきます。



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