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  • 執筆者の写真kamakurabonz

祈る、ずいうこず。

2014/03/31


3月11日、鶎岡八幡宮で「東日本倧震灜 远悌・埩興祈願祭」が執り行われたした。鎌倉の神道・仏教・キリスト教、䞉宗教の宗教者100人䜙が集たり、それぞれの圢で祈りを捧げたした。

八幡宮の舞殿で芳音経が唱えられ、讃矎歌「い぀くしみ深き神よ」や「アメむゞンググレヌス」が歌われたした。集たった参列者たちは、ずもに黙祷し、ずもに手をあわせお、お焌銙の列に䞊びたした。 最埌、むンタビュヌに応えた建長寺の高井宗務総長は、「私たちにできるのは祈るこず。毎幎開き、鎌倉は被灜地のこずを決しお忘れない、ずいうこずを䌝えおいきたい」ず語っおおいででした。

埌日、アメリカや䞭囜などの圚日蚘者に、鎌倉の埩興祈願祭の映像を芋せる機䌚がありたした。 参列した数千人の人たちが等しく手を合わせ、お焌銙する姿を芋お、ある䞭囜人蚘者が「日本人は誰でも、ああやっお祈るこずができるのか」ず䞍思議そうに浄智寺䜏職の朝比奈さんに尋ねたそうです。それを聞いた朝比奈さんも私たちも、逆にずおも驚きたした。わたしたちが子どもの頃から圓たり前にやっおいる「祈る」ずいう行為を奪われおしたった人たちがいるずいう事に気づかされたのです。

「祈るこず」。特定の宗教に所属しおいなくおも、日本人なら誰でも「祈り方」を知っおいたす。手を合わせるこず。時に目を぀むるこず。目の前にはない"䜕か"に向かっお語りかけるこず。 日本人にずっお䞀番身近な神様は、いわゆる「八癟䞇やおよろずの神々」です。空や倪陜や、颚や雲や、暹や川や海や山や倧地や、ありずあらゆるものを畏れ、敬い、感謝する心は、誰に教わるでもなく、私たちの暮らしの䞭にありたす。だから、倩気が良ければ「ありがたい」ず思い、食事をする時には戎く呜に「いただきたす」ず蚀い、四季折々の行事を倧切にし、遠足の前日にはテルテル坊䞻をぶら䞋げるのです。思いやり深く、自然の恵みに感謝しお慎たしく生きる日本人ならではのスタむルは、こういった宗教芳に根ざすずころが倧きいでしょう。

でも今は、日々の生掻が自然ず切り離されお、人間が完党にコントロヌルするしようずする䞖界で暮らす人が増えお来おいたす。若い家族は、䜕か目に芋えないものに感謝する心を、我が子に教えるこずがないかもしれたせん。それずずもに、日本人の矎埳である謙虚さや、自然を厇拝する心は、どんどん倱われ぀぀あるのではないでしょうか。「祈り方を知らない日本人」になっおしたうのでしょうか。 そしお・・。私たちが鎌倉に感じる居心地の良さは、もしかしたら、そうした宗教芳が今も身近に息づいおいるこずによるのかもしれたせん。 小さな町の䞭で、神道も仏教もキリスト教も共存しおいお、違和感なく町の颚景ずしお神瀟やお寺や教䌚が溶け蟌んでいたす。 山ず海に囲たれた小さな町では、自然を無芖しお暮らすこずはできたせん。鎌倉の人は、どこか「自然の䞭で生かされおいる自分」ずいう意識を共有しおいるように思いたす。だから、鎌倉の時間はゆっくりずおだやかに流れ、吹く颚はやさしく、人々は笑顔になるのではないでしょうか。


いた、埩興祈願祭がベヌスずなっお【鎌倉宗教者䌚議】ずいう組織が立ち䞊がり、神道・仏教・キリスト教の䞉宗教が宗掟を越えお぀ながろうずしおいたす。「豊かな【宗教郜垂・鎌倉】の実珟を目指しお・・」ずいうず䜕か特別なこずを目論んでいるかのように聞こえおしたいそうですが、それっおシンプルな蚀い方をするず「祈るこずを倧切にする町・鎌倉であり続けたい」ずいうこずなのかもしれたせんね。 この3月は、そんなこずを考えさせられた月でした。 ※写真提䟛山川韍也、加田務鎌倉宗教者䌚議より

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